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家族と息子

 投稿者:ハーブティ  投稿日:2010年 9月26日(日)10時49分21秒
返信・引用
  先生、お返事ありがとうございます。「契約なくして責任なし」。そうですね。つい余計なことをしたがって、頼まれてもいないのに首を突っ込もうとするのはやめないといけませんね。このキャッチフレーズ、心の中でつぶやいておきます。

「民主主義について」の件、すみません。読んですぐお返事を書きたかったのですが、何度読んでもあまりよく理解できず、書かずにいました。先ほどお返事を書きました。頓珍漢な内容かもしれませんが、読んでいただければありがたいです。
 
 

Re: 家族と息子の関係

 投稿者:大森 浩メール  投稿日:2010年 9月25日(土)15時46分21秒
返信・引用
  > No.18[元記事へ]

ハーブティさんへのお返事です。

>息子とおじいちゃんの間のことには私は首を突っ込めないよね・・・なんて思いながらも、何か私にできることないかなーと考えてます。「大人が間に入ると、どっちの味方とかややこしくなるから、反則したとき以外は私はほっとくことにしてるんです。」とはなしたことはあるんです。私にできることって、これくらいでしょうか。

@厳しく申しあげると、これくらいでも「やりすぎ」かもしせん。もしも介入できるとしたら、息子さんから「おじいちゃんのことで」と相談された場合と、おじいさんから「孫のことでなあ」と相談された場合だけでしょう。キャッチフレーズがあります。短いから書いておきます。
 「契約なくして責任なし」です。契約というのは事前の依頼に基づく話し合いのこと。責任とはご自分の仕事のことです。


 別件ですが、「民主主義について」、以前私の掲示板にご質問がありましたので、簡単にお返事しておきました。
 ここへもコピーしておきます。

 民主主義については、私たちは誰も「完成された姿」を知りません。人類はいまだかつて一度も完成された民主主義を体験していないのではないでしょうか。ナチスが出る前のワイマール共和国はいい線を行っていたのでしょうが、残念ながら、国民がお馬鹿だったため、ナチスはとても民主的な手段でもって議会を独占し、ついには殺人集団化してしまいましたね。教訓です。古代ギリシアでも、うかうかすると民主制は直ちに「衆愚制」に堕落しましたね。何かできあがった民主主義があるのでなく、私たちは何となくそれらしきものを目指して行動しているんでしょうか。「クラスはよみがえる」を読み返すと、教師の態度とか民主的な手続きについては詳しい説明があります。私も再読します。

 野田先生のQ&Aと講演の中から少し引用しておきます。ご参考になればさいわいです。

・・・引用

Q156
 アドラースクールのルールで、「先生のいるところにいなければならない」「先生の言うことは聞かなければならない」というのは、どういう考え方に基づいているんですか。

A156
 そんなん当たり前と違う?
 それが当たり前でなくなっているところが、日本のアナーキーさだと思う。民主主義というのは何かと言ったら、リーダーがいて秩序があってルールで動くのが民主主義です。
 子どもが学校にいたら先生のいるところにいるというのは、民主主義の一番根底的なシステムじゃないですか。そこのところを疑うということは、つまり民主主義そのものを疑っているということだと思います。子どもが教育を受けなくていい状態を容認しているね。つまり、大人が子どもを教育する義務を放棄しているということ。子どもが先生のいるところにいなければならないというのは、まったく当然で議論の余地がないと思う。もし民主主義というものを支持するなら。
 民主主義を支持しないならそれでもOKです。「私は民主主義はやめです。アナーキーでいいです」と、無政府状態で、みんながしたいことをして、“人に迷惑さえかけなければ何をやってもいいじゃないか主義”で暮らすならそれでOKだけど、西洋で生まれた民主主義は、“人に迷惑をかけなければ何をしてもいいじゃないか主義”ではない。ルールがあって秩序があってリーダーがいて組織があって動くのが民主主義です。
 日本は民主主義をたぶん取り入れそこなっている、今ね。僕たちは、われわれの政府のことを信頼していないでしょう。なんで信頼していないかというと、僕らが選挙という行為を大事だと思わないから。選挙を大事だと思えば、いいかげんな政治家は政治家になれない。もっとみんなが政治というものを正面から考えて、候補者たちについてもっとよく知って、自分も政治家になろうと思って、自分たちの代表を出そうと思ってそれで選挙していけば、日本の政治はよくなるでしょう。
 でも、基本的に民主主義というものについて、ちゃんとしたリーダーがいてちゃんとした組織があって動くものだという概念を持たないで、要するにみんなが好き放題にすればいいんだと思って、支配がない状態がいい状態だと思って動くわけでしょう。それはすごい根底的な誤りだと思う。
 アドラー心理学はアナーキズムには絶対反対なんです。みんなが好きなことをして、人に迷惑さえかけなければ何をやったって許されるというわけではない。人間はパワーを出し合って、それをうまくシステムにして組織にして動かないと生きていけない。だから、「共同体に対して自分がどんな貢献ができるかを考えなさい」と、アドラーが常に言うわけです。教師のいるところに生徒がいるというのは、「なぜ?」と言ったら、それは民主主義を支持するなら当然というのが答です。先生の言うことには従わなければならいのはなぜ?教師はリーダーだからメンバーが従うのは当然だからです。
 ただ、「教師の言うことに子どもは従わなければならない」「親の言うことに子どもは従わなければならない」のだけど、それはあらかじめ合意されていること。そのことがルールとして、「この学校では先生が指さしたら外へ出ないといけない」が、子どももそうだと思っていること。それ以外のことには適用されない。だから、「立ってなさい」には従わなくていい。従わなきゃいけないのは「指差したら出て行け」だけだから。「運動場1周回って来なさい」には従わなくていい。ルールで合意されてないから。
 ルールで合意されていること、合意されたことが冷静に怒りや罰をともなわないでちゃんと実行されていることであれば、従わないという理由は何もない。だって子どもはそれに合意したんだもの。


○講演「共同体感覚の諸相」から
 アドレリアンは、意識している。われわれにとって、ある暮らし方、共同体感覚と名づけられるものがあるある暮らし方がある。例えば、ドライカースはデモクラティック(民主的)な暮らし方。ドライカースによれば、デモクラシーは「家族の全員が対等の人間として扱われてて、役割の分業による相違はあっても全員が同じ価値を認められ、同じ発言権を持ち、責任の量に応じた権利を持つこと」。
 

家族と息子の関係

 投稿者:ハーブティ  投稿日:2010年 9月20日(月)11時09分58秒
返信・引用
   アドラー心理学を学び始めて、兄弟げんかに関知しなくなりました。我が家では、道具を使うこと・顔・お腹への攻撃は反則、ということになっています。こういうことをしたときは「それ反則」とだけ言います。でも、兄弟げんかが始まっても、私が知らん顔していたり場合によってはニコニコと様子を見ているだけなのをほかの家族が見て、以前よりもたくさん口を出しているみたいです。「喧嘩はだめ」「あなたはお兄ちゃんでしょ」「お前が悪い。あやまれ」なんて、喧嘩が始まるとすぐ入っていきます。それはそれは一生懸命です。特におじいちゃんおばあちゃん。せっかく喧嘩してるのに・・・なんて思うこともあります。息子とおじいちゃんの間のことには私は首を突っ込めないよね・・・なんて思いながらも、何か私にできることないかなーと考えてます。「大人が間に入ると、どっちの味方とかややこしくなるから、反則したとき以外は私はほっとくことにしてるんです。」とはなしたことはあるんです。私にできることって、これくらいでしょうか。  

Re: 息子のご飯の食べ方

 投稿者:大森 浩メール  投稿日:2010年 9月 9日(木)15時14分18秒
返信・引用
  > No.16[元記事へ]

ハーブティさんへのお返事です。

> ・・・息子は相変わらず汚い食べ方(立て膝・手で食べる・足を触りながら食べる・・・)をしていました。しばらくその様子を見ていて「面白い食べ方・・・」と思う練習をしてみました。そして息子に「あなたってほんとに面白い食べ方するねえ。よくそんな色々な食べ方知ってるもんやわ。」と言ってみました。息子はニヤリと笑って「へへへへ」とすごく可笑しそうにしていました。

浩>さっそく実行していただいてうれしいです。「汚い食べ方」と「面白い食べ方」と、子どもさんのやっていることは同じなのに、言葉の表現が変わることで雰囲気がすっかり変わってしまいますね。今、大事なことに気がつきました。「汚い食べ方」というのは極言すれば「親の好み」かもしれません。「面白い食べ方」というのは、子どもさんの行為を親が忌み嫌わないで喜んであげています。これはまさに勇気づけのひとつのやり方だったと思い出しました。子どもはいろんなことをするものです。あるときは不適切な行為で親の注目関心を引いている。でも、叱られると思いきや面白がられたら、子どもさんとしては作戦が不成功だったことになり、ある意味当惑しているかもしれませんね。親は作戦に引っかからなかったわけです。しかも親子関係はいい方向へ向かったことにもなり、これは一挙両得でした。

> ただ、べちゃべちゃの手で足を触るとその後歩く床がべたべたして嫌なので、それだけはやめて欲しいと言いました。

浩>これぞまさしく「共同の課題」の典型的なひとつですね。子どもの行為を全部やめさせようとしないで、親にとって迷惑になる部分だけやめてもらうようお願いすると、子どもは聞いてくれる格率が高いはずです。

> それから何日も経ちますが、彼の食べ方がましになったのか、私が気にしなくなったのか、とにかく食事中に注意したりイライラすることがぐっと減りました。

浩>いつか“倉工講座”で「家族会議」のお話をしようと思っていますが、家族がはじめは10分とか30分とか定期的に会議というか話し合いを開いて、最近よくなったこと、誰かに助けられたこととかだけ報告する。問題点ははじめから取り上げない。そうしてわいわいやっていると、相変わらず家の中は散らかっている、相変わらずきょうだい喧嘩をしている・・・なのに、親がちっともイラつかなくなっている。その段階を過ぎると、今度は困ったこと、問題点を出し合って解決策を話し合えるようになるんだそうです。

> 子どものご飯の食べ方を「行儀が悪い」とは思っても「面白い食べ方」なんて思いもしなかったので、先生が質問に答えてくださったとき、とっても新鮮な感じがしました。そして実際に「面白い食べ方」と口に出して子どもに言ってみると、ほんとうにそう思えてきたことが不思議で、楽しい体験になりました。

浩>「言葉が現実を作る」んですね。よい言葉を使うと、よい現実が構成されると言われます。

 今回はステキなご報告をありがとうございました。
 

息子のご飯の食べ方

 投稿者:ハーブティ  投稿日:2010年 9月 9日(木)13時08分40秒
返信・引用
  以前宇多津の会で、大森先生に質問させていただきました。息子のご飯の食べ方が汚い、という内容のことです。あの日、帰ってから晩御飯のときのことです。息子は相変わらず汚い食べ方(立て膝・手で食べる・足を触りながら食べる・・・)をしていました。しばらくその様子を見ていて「面白い食べ方・・・」と思う練習をしてみました。そして息子に「あなたってほんとに面白い食べ方するねえ。よくそんな色々な食べ方知ってるもんやわ。」と言ってみました。息子はニヤリと笑って「へへへへ」とすごく可笑しそうにしていました。ただ、べちゃべちゃの手で足を触るとその後歩く床がべたべたして嫌なので、それだけはやめて欲しいと言いました。
それから何日も経ちますが、彼の食べ方がましになったのか、私が気にしなくなったのか、とにかく食事中に注意したりイライラすることがぐっと減りました。
そして、たくさんこぼしたものやべたべたになった床を「きれいにしてもらえる?」ときくと「えー?!」と言いながらも拭き取ってくれることが多くなりました。
子どものご飯の食べ方を「行儀が悪い」とは思っても「面白い食べ方」なんて思いもしなかったので、先生が質問に答えてくださったとき、とっても新鮮な感じがしました。そして実際に「面白い食べ方」と口に出して子どもに言ってみると、ほんとうにそう思えてきたことが不思議で、楽しい体験になりました。
 

ありがとうございます

 投稿者:ハーブティ  投稿日:2010年 7月30日(金)14時29分13秒
返信・引用
  大森先生、丁寧にお返事いただきありがとうございました。
自分の無意識の目標をこうやって意識できると、少し楽になった気がします。「不完全でいる」ことを怖がっていたのだと分かりました。「不完全でいる勇気」持ちたいです。これからも学び続けたいと思います。
 

Re: 納得!です

 投稿者:minoru  投稿日:2010年 7月27日(火)23時15分52秒
返信・引用
  > No.11[元記事へ]

大森 浩さんへのお返事です。

 大森先生 ハーブティさん

 8月の講座は宇多津駅前の「ユープラザうたづ」でします。
 よろしくお願いします。
 

納得!です

 投稿者:ハーブティ  投稿日:2010年 7月27日(火)14時52分38秒
返信・引用
  先生、お返事ありがとうございます。先生のお返事と劣等感について学んだことの続きを読んで、「なるほど!!納得!!」です。

私はわりといつもなんか不愉快で、イライラしていることが多く、とたんに不安になったりと自分でもしんどいなと思っていました。ふと気付きましたが「いつも、どんなことにも一生懸命に生きたい」とか、「取り組みはじめたことはちゃんとやり通したい」とか、「とにかくいつもきちんとしておきたい」「いつも正しくたい」「人に言うことをきかせたい」という目標があったようです。子どもも巻き込んで、この目標を達成しようとしていました。でも、実際いつも一生懸命何かやっているのはしんどいし、何かをやりはじめても続かないことはよくあるし、だらけていたいときもあるし、・・・。ここに書いてみると、無茶な目標ですね。そして、達成できないことを自己欺瞞してきた、ということでしょうか。
水とコーヒーの区別をしてみると、水と思える目標ではない気がします。

ひとつ疑問ですが、アドラー流育児で育った人は、こんな目標の持ち方はしないのでしょうか?子どもの頃から目標そのものや目標達成のための手段がもっと健全なものなんでしょうか。

以前職場の研修で、自分のいいところを5つ挙げてみましょうというのがありましたが、全く浮かんできませんでした。浮かぶのは全て短所。悲しいかな、今もそうです。ないものを求めずにあるものを有効利用して生きていく、になかなかシフトできずにいます。
「いやいや、わたしもなかなかよくやってるわよ」と思っていいんでしょうか。
 

質問です。

 投稿者:ハーブティ  投稿日:2010年 7月26日(月)15時28分28秒
返信・引用
  劣等感について学んだこと10、11についてです

①例えば、今みたいに暑くてだるくて晩御飯の準備したくないなーと思っているとき、「ちょっとしんどいから晩御飯作れません」と言わずに「今日は晩御飯作りたくありません」というと劣等コンプレックスを使わなかった、ということですか?「作りたくない」というと、怠けてるみたいで、主婦業をサボるな!と言われそうでやだなーと思います。自分でも「私って怠け者・・・」って気が沈みます。しかも、晩御飯作らなかったら家族に迷惑かけるし・・・でも正直、「作りたくない!」って言いたいときもあります。

「作れない」というときは、私には責任がないから私を責めないでーと逃げている、でも「作りたくない」というときは、その後外食やお惣菜の購入に余計な出費がかかるとか、家族に文句を言われるとかいうことを受け止める覚悟をしている、って感じでしょうか。

②大人になったら理想を緩める、とありますが、その理想が無意識的に作られているとしたら、自分でその理想に気がついていないということではないかと思うのですが、どうやって緩めたらいいのでしょうか?
 

ありがとうございます。

 投稿者:minoru  投稿日:2010年 7月18日(日)21時31分12秒
返信・引用
   大森先生のご厚意で、アドラー心理学について学ぶ掲示板を開設しました。
 お楽しみに。

 末長く、よろしくお願いします。
 

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